新人演奏会

新人演奏会のあゆみ

昭和40年代後半の本県の音楽界は、合唱界(昭和24年県合唱連盟結成)は盛んであり、当時の全国合唱コンクール入賞団体名には全国制覇の実績を持つ県立水戸二高、日立工場合唱団名が見える程であるが、県全体の音楽界は総じて低調であったため、昭和45年に県は県芸術祭に「県民コンサート」を創設した。同じ芸術部門でも、美術部門とは、その活気さにおいてかなりの差があったことは事実である。
昭和49年に開催された第29回茨城国体は、県民の各層に強い刺激を与えた。音楽会も例外ではなく、特に吹奏楽では、県として初めての楽器補修、新規購入費を関係校に支給したこともあって、その後の発展に大きく貢献している。また、同年暮れの「石油ショック」の体験は、極端な経済の高度成長期にあって、国民に物よりも心の大切さを知らしめる結果となった。
このような状況下にあった昭和49年、茨城県立県民文化センターでは音楽の催し物についての企画立案が検討され、『参加創造型』を一歩踏み込み県民参加、新人発掘に併せ、本県の音楽文化向上に資するものとして新人演奏会が企画立案された。
当時は、全国的に見ても県や市等の自治体が演奏会を主催している例は少なく、発足後他県からの問い合わせもある程であった。
昭和50年に第1回を開催し、これまでの公開オーディション応募者は1,600名に及び、その中からの本演奏会出演者は約600名を数える。
第1回から第10回までは、各音楽大学の推薦により出演者が選定され演奏会を開催。
第11回から、出演希望者が多くなったため、オーディション方式を導入するとともに、それを通過した出演者が更なる目的意識を高め本演奏会で最高のパフォーマンスを披露することを促すコンテスト方式を導入し『茨城県新人賞』を設ける。
第17回から、出演者の演奏レベルが向上し、新人賞を絞り込むことが困難になる年が多くなってきたため、賞を追加し『奨励賞』を設ける。
第33回から、鑑賞者も参加できる演奏会として、来場した鑑賞者の投票で決定する『聴衆賞』を設ける。
茨城県新人演奏会に出演した演奏家たちはその後、ソロデビュー、プロオーケストラへの所属、指揮者・指導者として後進の育成に奮励するなど、さまざまな活躍を見せている。

※敬称略。出演者掲載順は演奏順です。
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